北4東6周辺地区再開発の都市計画が決定しました。
中央体育館の移転新築、ツインタワー、複数の民間施設、北3東11周辺地区再開発との連携が決定しました。
長い道のりですが、少しづつ変化していく様子を追っていきます。
北4東6周辺地区再開発-ふりかえり
2015年から動き出した北4東6周辺地区第一種市街地再開発事業が2022年4月に事業完了を迎えました。最後に、この再開発をふりかえってみます。
再開発の歩み
2006年頃、都市ガスタンクが解体された北ガス跡地で再開発の機運が高まり、医療施設やマンション、地域暖房施設を中心とした再開発が構想されていましたが、2008年のリーマンショックにより、構想は白紙となってしまいました。
2011年に老朽化した札幌市中央体育館の移転先として、北ガス跡地が候補となったことから、再び北ガス跡地の再開発機運が高まります。
2013年には北ガス跡地と周辺の総面積4.1haにタワーマンション×2棟、商業施設、中央体育館、医療施設、サ高住、スポーツ施設、地域冷暖房施設などを建設する北4東6周辺地区再開発の計画が発表されています。
2015年に入り都市計画が決定、翌年の2016年には関係機関との協議の結果、空中歩廊の区間などが見直しが行われ、都市計画が変更されました。
その後、第1工区の着工及び、第2工区の既存解体が始まり、2019年になると第2工区が着工されました。2022年にはすべての工事が完了し、事業完了を迎えることになりました。
再開発のふりかえり
北4東6周辺地区第一種市街地再開発事業により、個人的に気になった部分を当時の風景を交えながらふりかえってみます。
①空中歩廊の整備
再開発により大型商業施設であるサッポロファクトリーに直結した空中歩廊が北3条通を跨ぎ中央体育館まで整備されました。
当初はタワーマンションが建設される北3東5街区から北ガス跡地の北東街区に建設される商業・福祉施設の区間で計画されていましたが、関係機関と協議を行った結果、サッポロファクトリーのアトリウム館と直結することが決定しました。
空中歩廊としては中央体育館からサッポロファクトリーアトリウム館までですが、アトリウム館→3条館→2条館→1条館→フロンティア館と広大なサッポロファクトリーの連絡通路を通ることで、距離にして南北線さっぽろ駅~大通駅に匹敵する天候に左右されない通路が完成しました。
一方、空中歩廊のアトリウム館に直結により南方向に空中歩廊が伸びたため、中央体育館の立体駐車場から北東街区の区間は空中歩廊ではなく、地上の屋根付き通路(カバードウォーク)へ変更されました。屋根付き歩道と空中歩廊、立体駐車場はエレベータと階段で接続されています。
②苗穂駅連絡通の新規整備
再開発前は車がすれ違うのも難しい狭隘な道路しかありませんでしたが、再開発により苗穂駅連絡通が整備されました。
この苗穂駅連絡通は通称東5丁目通とも呼ばれていますが、2018年苗穂駅移転により新たに整備された苗穂駅北口を結ぶ道路として整備されたものです。
苗穂駅連絡通は令和5年に全面開通の予定ですが、全面開通により開かずの踏切に指定されている東9丁目踏切が除却され、東7丁目~西16丁目で唯一鉄道の南北を交差する道路となります。
全面開通により交通量が大幅に増加することが予想されます。
④ツインタワーマンション
北4東6周辺地区の「周辺」にあたる北3東5街区に地上21階建てのツインタワーマンション「ザ・タワーズフロンティア札幌」が建設されました。リーマンショック前の構想では再開発対象ではありませんでしたが、リーマンショック後の再開発構想で北3東5街区が再開発地区に組み込まれました。
それまで東区のツインタワーマンションの最高層が地上20階建てでしたが、再開発により誕生したザ・タワーズフロンティア札幌が記録を塗り替えています。
④中央体育館の移転新築
再開発により大通東5の札幌市中央体育館が北ガス跡地に移転新築されました。この中央体育館の移転構想がなければリーマンショックによる再開発構想の白紙化から再び再開発の機運が高まり、北4東6周辺地区再開発が事業化されることはなかったといえます。
移転新築された中央体育館は述べ床1.7万㎡の施設で、観客席2,500席のアリーナ、相撲室、ボクシング室、剣道室、武道室、柔道室、弓道室、アーチェリー室、ウェイトリフティング室、トレーニング室、選手控室A、選手控室B、小会議室A、小会議室B、多目的室A、多目的室B、ランニングコース、大会役員室、審判控室などが利用可能です。
⑤二転三転した第2工区
2019年の第1工区の竣工から3年後、第2工区(北東街区)に医療・福祉施設(サ高住・クリニック・調剤薬局)や商業・業務施設(スポーツジム)、立体駐車場が完成しました。
大規模再開発になると設計変更はよくあることですが、この第2工区(北東街区)も2015年の都市計画決定から建物の規模や配置の変更がありました。
敷地面積に大きな変動はありませんが、建築面積と延床面積は大きく増減しており、初期計画と比べて建築面積は減少して広場が大きくなり、高層化したことにより延床面積は増加しました。
最後に
都市ガスタンクが撤去されてから18年、ようやく北4東6周辺地区第一種市街地再開発事業が完了しました。リーマンショックによる再開発構想の白紙撤回は残念に思いましたが、最終的には北ガス跡地+北3東5街区というリーマンショックショック前の構想よりも大きな再開発となりました。
残念な部分としては、まったく新しく作られた苗穂駅連絡通が電柱地中化されずに電柱が立てられてしまったことです。日本の電柱地中化は高コストなのはわかりますが、まったく新しく作った道路ぐらいは無電柱化してもらいたかったです。
北4東6周辺地区第一種市街地再開発事業は完了しましたが、周辺では民間の再開発が続いており、オフィスビルの建設もはじまるなど、再開発の連鎖が続いています。
また、少し離れた場所では北6東3周辺地区再開発(卸センター跡地再開発)、苗穂駅周辺地区再開発も進んでおり、再開発地区と再開発地区の間が民間再開発でつながっていくことを願って、このコーナーを締めたいと思います。