篠路駅周辺

昭和の雰囲気が残る篠路駅周辺の鉄道連続高架事業が決定しました。
篠路駅周辺では土地区画整理事業を伴う広域再開発が少しずつ始まっています。

篠路駅の東側は札幌の開拓よりも歴史があります。
道路沿い建つ昭和の建物は区画整理事業の一環による道路拡幅により全て解体されました。

鉄道連続高架により木田製粉工場に挟まれた丸〆街道踏切は除却されることになります。
この丸〆街道は篠路の東西を結ぶ道路で最も歴史のある道路です。

篠路駅のすぐ近くを流れる旧琴似川の東側には平成初期に「グリンピアしのろ」として大規模に造成された新興住宅街が広がっています。
幹線道路は電柱地中化がされており、すっきりとした街並みです。

平成10年の篠路駅西口地区第一種市街地再開発事業で西側に新しく駅前広場が整備されました。
再開発前まではレンガ造りの玉ねぎ倉庫群が広がっていました。

西口駅前広場は線路沿いにあった道路を廃止し、玉ねぎ倉庫群を解体して造成されました。
かつて道路だった部分は駐輪場として利用されています。

西口駅前広場が共用されるもっと前から存在している西口駅舎です。
こう見えてICカード対応の改札が設置されています。

今回の再開発で平成10年度に新設された篠路駅西口駅前広場に接続する篠路駅西通を東8丁目篠路通まで延伸する工事が進められており、
既存道路を流用する場所では道路拡幅の工事が進んでいます。

篠路駅西通の延伸で新しく道路が新設される場所では立ち退きが進んでいます。

篠路の中心街といえば駅周辺よりも昭和40年~50年頃急速に発展した横新道と東8丁目篠路通が交わるこの辺りといえます。
篠路駅西口から延伸される篠路駅西通は東8丁目篠路通に接続されます。

東区と北区の境界にある太平跨線橋が開通して東8丁目篠路通が東区と接続されてから交通の流れが大きく変わりました。
東8丁目篠路通は東区に入ると北光線と呼ばる幹線道路となっています。

篠路の東西を結ぶ幹線道路である横新道は幅員20mの4車線の都市計画道路です。
一部区間を除いて徐々に拡幅工事が進んでいます。

この付近の横新道は昭和41年の造成当初から建物がセットバックして建てられています。
昭和63年にオーバーパスによる立体交差が決定しましたが、反対意見が多く工事が進んでいませんでした。

横新道と学園都市線(札沼線)の踏切とその前後の変形交差点によりラッシュ時の交通渋滞が大きな問題になっていますが、
オーバーパス化の決定から約30年経過した平成31年、高架道路ではなく鉄道連続高架事業に変更されました。

単線の赤字ローカル線で1両編成の気動車が走っていた札沼線も現在は複線電化され6両編成の電車が走る路線になりました。
鉄道立体交差化により3つの踏切が除却され、新たに東西を結ぶ道路も新設されます。

篠路駅周辺

篠路駅周辺は明治以前から平成まで時代の変遷を感じることができる貴重な街です。

安政時代に開拓が始まり、昭和中期まで農業の一大拠点として栄えてきた篠路駅の横には、
札幌軟石で作られた組積造の倉庫がたくさん残っています。

篠路駅舎は昭和34年に建てられたままの姿で残っています。
赤字ローカル線だった札沼線も、あいの里が造成されてからラッシュ時は6両編成の列車が往来しています。

平成になり篠路駅から少しはなれた場所では新興住宅の造成が始まりました。
商業施設や病院等も建設され、街並が充実してきました。

幹線道路の沿線を中心に住宅が建っています。
篠路駅まで徒歩10分~20分程度も、通勤・通学はバスで30分程度の地下鉄栄町駅や麻生駅行きを使う人が多いです。

周辺の地区を結ぶ道路も充実してきました。

篠路駅の裏手には昭和40年の人口急増時代に急激に宅地化された地域が広がっています。

この辺りには郵便局、銀行、スーパー、病院が集まっています。

当初から4車線化が予定されてるので建物は後退して建てられています。
一部は4車線化されていますが、この辺りはまだ2車線のままです。