JR沿線の再開発を活かす道路整備

2030年の新幹線札幌延伸に向けて各所で再開発が進んでいますが、JR札幌駅から苗穂駅沿線では敷地面積1haを超えるような大規模再開発が相次いでいます。

JR沿線の大規模再開発(2021年1月時点)緑は予定地

JR沿線の再開発により大型商業施設、オフィスビル、大規模集客施設、大型医療施設、ホテル、タワーマンション群が誕生する予定ですが、すべての再開発が完成すると、周辺の交通動線の変化や交通量増加により円滑で安全な交通が確保できない可能性があります。

現状の課題

JR沿線の東3丁目~苗穂駅間は歴史的に道路整備が遅れており、現在でも狭隘道路や袋小路が多く、公道ではなく第42条1項5号道路に分類される「私道」も多いことから、再開発後の交通量増加によるトラブル増加が懸念されます。

提案する新しい道路

大規模再開発のタイミングに合わせて道路を新設することで、増加する交通量への対応、道路新設による資産価値や路線価の上昇、新たな民間再開発の誘導を期待できると考えます。あくまで私案ですが新しい道路を考えてみます。

①北7条通延伸

北7条通は札幌駅北口に直結する4車線道路ですが東2丁目通の丁字路で止まっています。東2丁目の東側には北7条通の延長線上に第42条1項5号の「私道」とし存在(一部は認定道路)している北7条通を「4車線」として東8丁目通まで延伸させます。

期待する効果

  • 大型医療施設となる北6東3再開発へ向かう緊急車両の円滑な交通を確保できる。
  • 北6東2、3、4再開発で予想される交通量の増加を既存道路に集中させることなく安全で円滑な道路交通を確保できる。
  • 北8条通と東8丁目通の交差点で常態化する右折渋滞解消が期待できる。
  • 札幌駅北口に直結する道路として整備することで延伸区間沿線の路線価上昇が期待できる。

②北5条通延伸(東4丁目区間)

苗穂駅連絡通が全線開通すると東9丁目通にある踏切が除却され、苗穂駅連絡通の旧東5丁目通区間の交通量が大幅に増加することが予想されます。さらに、北4条通は狭隘で北3条通の渋滞も常態化していることから、旧東5丁目通区間が飽和する可能性があります。そこで、札幌駅前と直結する北5条通を「4車線」で旧東5丁目通まで延伸させます。

期待する効果

  • 東方面から新幹線駅となる北5東1へ円滑なアクセスが実現できる。
  • 苗穂駅連絡通の旧東5丁目通区間の交通を北5条通に分散することが期待できる。
  • 狭隘な北4条通の東4丁目区間の交通量を減少させることが期待できる。

③北5条通延伸(東5~東9丁目区間)

札幌駅南口や新幹線口に直結する北5条通は東4丁目の丁字路で止まっており、さらに、北4条通は東8丁目通のアンダーパスアプローチ区間であるため東8丁目から苗穂方面に直進することはできません。そのため、北3条通は苗穂方向に向かう車で渋滞が頻発しています。新たに苗穂地区を結ぶ道路として北5条通を苗穂方向に延伸させます。

期待する効果

  • サッポロファクトリーへの駐車待ちで渋滞する北3条通の交通量を分散することが期待できる。
  • 東8丁目アンダーパスの地上部を通るため、安全で円滑な交通が確保できる。
  • 東9丁目踏切が除却されても東9丁目通の袋小路化を防ぎ、沿線の路線価の低下を防ぎます。

④東8丁目東通新設

東8丁目通はアンダーパスとなっているため、北3条~北4条東8丁目通の東街区はアンダーパスの副道から本線へ合流する必要があります。しかし、東8丁目通は交通量がとても多いため本線に合流するまで数分待つこともあります。これらを解消すべく東8丁目東通を新設します。

期待する効果

  • 北3条~北4条の東8丁目東街区の道路がアンダーパス副道だけに頼らない安全で円滑な交通が期待できる。
  • サッポロファクトリー、大型病院やJR苗穂駅にも近いこの街区で新しい民間再開発を誘導できる。

⑤東10丁目通新設

北3東11丁目周辺再開発地区に隣接する南郷通沿いの8haは苗穂中央地区として2号再開発促進地区に指定されています。残り4街区の再開発を促進すべく、新たに東10丁目通を整備します。

期待する効果

  • 苗穂中央地区の再開発が促進や隣接地で民間再開発の誘導が期待できる。
  • 延伸する北5条通と接続することで札幌駅南口や新幹線口への容易なアクセスが可能になる。
  • 北3東10街区の短冊形袋小路が解消され、民間再開発を促進する効果が期待できる。

⑥東7丁目通(新設)

東5丁目から東側でJR南北を直進できる道路は東8丁目通しかなく渋滞が常態化しています。また、JRとはアンダーパスによる交差となっており、北6条通と東8丁目通の交差点はアンダーパス副道も接続されています。そのため、苗穂駅連絡通に接続する副道の交通量が増加すると非常に危険な交差点となってしまいます。北5東7の再開発に合わせて苗穂駅連絡~北8条通の区間に東7条通を新設します。

※東8丁目アンダーパスは苗穂駅連絡の整備に合わせて副道に歩道が整備されることが決定しています。

期待される効果

  • 苗穂駅連絡通から東8丁目に合流するアンダーパス副道の交通量抑制が期待できる。
  • 東8丁目通へ集中する交通を新設する道路に分散する効果が期待できる。
  • 北7東7地区の区画整理により災害に強い市街地の形成と民間再開発の誘導が期待できる。

ここまで新しい道路整備を考えてきましたが、区画整理を伴う道路整備には多額のお金がかかります。しかし、再開発による交通量増加に対応しなければ、私道を通る車が増加してトラブルが発生したり、狭隘な生活道路を通る車が増加して住民生活に支障をきたすこともあります。また、袋小路、狭隘では災害に強い街づくりはできません。大規模再開発が盛んな地区だからこそ再開発に合わせた道路整備が進んでほしいものです。

創成川東地区

碁盤の目として道路が整備されているイメージが強い創成川東地区ですが、どのように道路が整備されてきたのか、その歴史をたどると札幌開拓の歴史にとても関わりが深いことがわかりました。

おことわり

  • 主に北1条通~北20条通、東1丁目~東18丁目の地域を「創成川東地区」の対象としています。
  • 約100m×約100mの碁盤の目を「本府基準」と呼ぶことにします。
  • 説明の中で「大友堀」や「伏籠川」が登場しますが、「伏籠川」は時代により源流や流路が大きく変化しますので、概ね流路として考えてください。
本府基準の道路(緑)と基準外の道路(赤)

現在の道路状況としては、北1条通~北20条通まで本府基準の碁盤の目で整備されています。そこから北側は100m×150mの碁盤の目で整備されており、碁盤の目で整備された地域が広がっています。その一方で、東8丁目から東側の光星地区は碁盤の目とは対照的に「花畔札幌線」に沿って短冊形の道路が雑然と形成された地区が広がっています。さらに東側の東18丁目通や苗穂駅のある東12丁目通りは碁盤の目ではありませんが、本府基準の道路として整備されています。

明治初期(鉄道開通前)

明治初期の創成川東側には本府基準の碁盤の目がまだ3区画しか存在しておらず、まだ整備がはじまったばかりの印象があります。明治初期から既に「花畔札幌線」が存在していることが確認できます。

明治中期

明治中期に入ると本府基準の碁盤の目が創成川の東側にも広がり始めました。北8条通が新たに整備されており、北1条通、北3条通が苗穂まで延伸されていいます。現在も残るいわゆる東4丁目通のクランクはこの時代に誕生しています。また、現苗穂駅に通じる東12丁目通が本府基準の道路として整備されています。

明治後期

明治後期では北2条通と北4条通が東8丁目まで延伸され、碁盤の目がさらに北と東方向に広がっています、東3丁目通の北5条通~北8条通の間はまだ整備されていません。東2丁目に北7条通が整備されたことにより、花畔札幌線は現在と同じ北7東2に起点が変更されています。

大正初期

大正初期になると苗穂駅連絡通が東8丁目通に接続されました。現在の地図では形跡がほとんど見えない東区役所付近の「へ」の字の道路、環状通東駅付近の「エ」の字の道路が存在しており、「エ」の字の横棒に相当する道路は、花畔札幌線に対して直角でもなく、本府基準の角度でもなく、正しい東西方位で整備されています。

昭和中期

昭和中期になると本府基準の碁盤の目が北20条通まで整備が進み、そこから北23条通りまで本府基準の碁盤の目ではなく約110m×約150mの碁盤の目が整備されました。また、東8丁目から東側の道路骨格となる北15条通と北18条通が東18丁目付近まで延伸されています。全体として碁盤の目の整備が進んだものの、昭和中期でも「く」の字道路や「へ」の字道路が残っています。

土地区画整理事業で際された道流(赤)と新規整備された道路(緑)

昭和44年から昭和57年にかかて光星地区 68.7haで土地区画整理事業が施行されました。北12条通が東11丁目付近まで延伸されたものの、東8丁目から東側に碁盤の目が広がることはありませんでした。また、かつての大友堀に沿った「へ」の字道路も完全に姿を消しました。

ここまで明治初期から現在にかけてどのように本府基準の碁盤の目が整備が進んできたか見てきましたが、碁盤の目の区画として整備されていなくても、現在の東12丁目通や東18丁目通のように本府基準の道路として整備された道路があります。これは偶然なのでしょうか。

札幌本府の変遷(概念図)

札幌本府は3段階でその区域を拡大した言われています。この図はその区域の変遷を矩形で示したものです。実際の都市計画に豊平川対岸は含まれていません。

札幌本府の区域には諸説ありますが、これまで何度かふれてきた北12条通、北18条通、北20条通、東8丁目通、東12丁目通、東18丁目通と都市計画の変遷を重ねてみると、札幌本府の変遷と一致する特徴が表れてきます。

札幌本府の変遷と道路

例えば、北18条通は創成川西側における本府基準碁盤の目の北端であり、北20条通は創成川東地区における本府基準の碁盤の目の北端です。東12丁目通と東18丁目通は東8丁目から東側で2本しかない南北方向の本府基準道路そのものです。こられは何らかの基準で整備されたとしか考えられません。その基準が札幌本府の都市計画であったと考えています。

札幌区と札幌村

また、北12条通と東8丁目通は明治初期から中期の「札幌区」と「札幌村」の境界でもありました。札幌村は大正初期~中期にかけて札幌市への編入を繰り返し、昭和30年に札幌市と合併して札幌村は閉村しました。札幌村は日本の玉ねぎ栽培発祥の地として知られており、宅地化される前は広大な牧場と花畔札幌線沿いに玉ねぎ畑が広がっていました。

札幌村村域における札幌本府都市計画

札幌本府の都市計画によると、花畔札幌線と交差する一部の道路は花畔札幌線と垂直に交わるように計画されていますが、ほとんどの地域は本府基準の碁盤の目で整備する計画であったことがわかります。一方、環状通東駅の周辺は札幌村集落の町割を継承するように計画されており、東豊線が走る東16丁目通が北17条通で丁字路になる計画になっているようです。

現在の東8丁目通は本府基準から半街区ずれていますが、都市計画では東8丁目通も本府基準で整然と整備する計画になっているだったようです。もし、光星地区が碁盤の目として整備されていれば、東区役所周辺から苗穂駅からにかけては現在の桑園地区のような街並みが形成されていたかもしれません。。

昭和初期の地割(色付した地区のみ抜粋)

ちなみに、昭和初期の道路は碁盤の目として整備されていますが、地割は換地前の地区が残っています。もし、道路が碁盤の目として整備されていなければ、光星地区東部のように農耕地の地割がそのまま道路になっていた可能性があります。